この記事では、以下についてまとめています。
・祖母の死をきっかけに参列した通夜・葬式の体験
・「葬式はぜひともやるべき」という通夜で聞いたお坊さんの主張
・その話に違和感を覚えた理由と、私なりの考え
・「やる・やらない」よりも重要だと感じた論点
・今回の出来事を通して再認識した終活の重要性
お疲れ様ですきょうにぃです。コンチワコンチワ!!
この記事は、自身の祖母の死をきっかけに執筆しまして、
葬式をやるかどうかで迷っている人、
特に 「本当に必要なのか?」と違和感を抱いている人 に向けて書いています。

※画像はChatGPTにて生成
はじめに|正月に突然やってきた訃報
2026年1月、母方の祖母が亡くなりました。享年97歳。
正直に言うと、年齢のこともあり、
心のどこかで「いつか来るもの」として受け止めていた部分もあります。
さらに言えば、
祖母とはここ10年以上会っておらず、父に至っては25年ぶりという状況。
認知症を患い、施設に入っていたこともあり、距離ができていたのも事実です。
そのため、
「亡くなった」という事実自体は、意外なほどすんなり受け入れられました。
ただ――
小さい頃、毎年のようにお世話になっていた記憶があるのもまた事実。
だからこそ、
急遽新潟で行われることになった通夜・葬式には、家族で弾丸参加してきました。
正直、葬式はやらないと思っていたが、やることになった
正月というタイミングもあり、
正直「すぐには葬式はやらないだろう」と思っていました。
また、最近は、
- 家族葬
- 直葬
- 葬式をやらない選択
も珍しくありません。
しかし、実際は祖母の死の翌日から、
親戚だけが集まる、こじんまりとした通夜・葬式が行われました。
派手さはなく、どちらかと言えばアットホーム。
「これはこれで、悪くないな」
そんな印象を持ったのを覚えています。
通夜で聞いた「葬式はやるべき」というお坊さんの話
通夜の中で、お坊さんがこんな話をしていました。
お坊さんの主張を要約すると、
- 最近は「メリットがない」という理由で葬式をやらない人が増えている
- ただ、やらなかったことは、後悔として心に残り続ける
- 人は何か不幸が起きると、原因を探したくなる生き物
- 「あのとき葬式をやらなかったからかもしれない」という思いが、
幽霊のように心に残り続ける - 判断が揺れる、後ろ髪を引かれる――それ自体が“幽霊”
- だから、基本的には葬儀はやった方がいい
要するに、
「やらなかった後悔は、ずっと自分の心を縛り続ける。だから葬式はやるべき」
という話でした。
正直な感想|共感できなかった理由
ここからが、一番伝えたい話です。
かなり率直に言うと、
葬式はやるべきというこの話にはあまり共感できませんでした。
少し穿った見方かもしれませんが、
「お坊さんもビジネスなんだな」と感じてしまった、というのが本音です。
※葬儀を行うかどうかは、葬儀屋・お坊さんの生業とも無関係ではないため、
そうした前提も含めて話を聞く必要があると感じました。
なぜそのように思ったか。
そもそも「やる・やらない」を決めるのは誰か?
お坊さんの話は、
すべて「残された側の後悔」に焦点が当たっています。
でも、私はこう思いました。
葬式をやるかどうかを決めるのは、去っていく人本人ではないか?
- 自分は仏教を信仰しているのか
- 通夜・葬式はやってほしいのか
- やるなら規模はどのくらいか
- 費用はどうするのか
- 誰に、何を任せたいのか
本来、これらは
生前に本人が決めておくべきこと だと思います。
残された人が決める葬式の難しさ
残された人が決めることで生じる問題は、
「本人の意思が分からないまま、残された人が決めなければならない」こと。
この状態だと、どうなるか。
- 決裁者(本人)がいない
- 正解が分からない
- 「これで良かったのか?」という不安が残る
- 結果的に、葬儀屋やお寺の“言い値”に乗るしかない
しかもそこに、
「申し訳ない気持ち」
が乗っかってくる。
結果的に、葬儀屋やお寺の提案を
そのまま受け入れざるを得ない状況になりやすいと感じました。
葬式問題から改めて考えた「終活の重要性」
今回の件で、改めて強く思ったのが 終活の重要性 です。
- 葬儀はどうするのか
- 墓はどうするのか
- 財産分与はどうするのか
これらは、
もめごとの種以外の何ものでもありません。
特にお金が絡むと、
争いは一気に泥沼化します。
でも、もし――
- 生前にすべて決まっていたら?
- 本人の意思が明確に残されていたら?
残された人は、
「これで良かったのか」と悩まずに済む。
※無論、追加で何かやりたい場合はやれば良い訳で、基本的な素案(ベースライン)が
決まっていることが大切だと思いました。
去っていく人も、
自分の意思が尊重される。
双方にとって、
これ以上フェアな形はないと思います。
今後について|自分と両親に向けて
今回の祖母の死をきっかけに、
- 両親には、終活を軽視しないでほしい
- 「まだ早い」は通用しない
- 元気なうちに決めておくことが、最大の思いやり
この点は、口酸っぱく伝えていこうと思っています。
そして当然、
自分自身も同じ。
残された人に、
余計な判断や後悔を背負わせないように。
生きている今だからこそ、
考えておくべきことだと強く感じました。
PS|叔父のスピーチが印象に残った話
最後に、少しだけ。
叔父が挨拶の中で、こんなことを言っていました。
「正月じゃなかったら、たぶん全員で集まれなかった。
親戚同士が集まる機会もなかなか作れない中、
最後に母が“縁”を繋いでくれたのだと思う。」
確かにその通りで、
仕事や家庭、それぞれ事情を抱える中で、
このタイミングだからこそ奇跡的に一同が集まれました。
そう考えると、
この場に集えたこと自体が、ひとつの意味だったのかもしれません。
まとめ
少し現実的で、
どこか冷めた話に聞こえたかもしれません。
でも、
今回の祖母の死を通して感じたことは、紛れもなくこれです。
「葬式をやる・やらない」よりも、
生きているうちに“決めておくこと”の方が、よほど大事
この考えが、
誰かの判断材料になれば幸いです。
そんじゃ、お疲れさんした!
動画で解説|祖母の死と「葬式をやる・やらない問題」
動画URL★制作後別途更新★





